感話3(布施 益雄 氏)
ただいま紹介いただきました、第十五組の布施でございます。
お話は、私が感動したことを、それから後段は、それにもとづいてどんなことを、今しているのかを具体的に申しあげてみたいと思います。
まず第一番目に、私が感動した最初の出遇いというのは、私の父が四十四歳で、ぱっと死んでしまったときです。本当に、どうして死んだのかというくらい早く、心臓麻痺であったわけです。わずか二十分でした。私はそのとき、本当に驚くと同時に、死ぬというのはどうしてこんな簡単にできるものだろうかと。私は若い歳であり経験もないだけに、不思議に思っておりました。
廣圓寺の住職様がおいでになりまして、お経をあげていただきました。その中で「白骨の御文」を読まれたわけでございます。みなさまもご承知のように「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる身なり」というところがございました。
私は、本当に鳥肌が立つ思いで感動して聞いておりました。たまたまその頃、新潟の文芸の集まりのときに、私はこの「御文」は日本の文学を代表する一文ではないかと申しあげました。みなさんが一様にこっくりと頷いていたことを、今でも覚えております。
それから第二番目に申しあげますのは、私はほどなくして会社の勤務から管理職になりまして、あちこち全国転勤でまわって歩くわけですが、そのときに単身赴任というのは本当に孤独なものであるということを自分で肌に感じたわけでございます。
右を向いても左を向いても全然知らない人たち。職場の人で何人か知っているとしても、年中そういう人達と関わっているわけではございません。ですから、困ったなと内心思っていたのですが、たまたま廣圓寺の住職様が、わざわざ新発田に三つ折本尊を持って来られまして、「これを拝んでいなさい。」と、何げなくそう言って帰られたのです。そのとき私は、本当に廣圓寺のありがたさというのを身に染みてわかりました。
と申しますのは、私は天涯孤独の中でも、この仏様といっしょにいるんだという心強さといいますか、そういうのをはじめて感じたわけでございます。ですから、それが一つの安心感となって、仕事にも精を出すことができましたし、みんなとのチームワークもうまくいったなと思っております。
三番目ですが、その過程の中で、こういうことがございました。
お客さまサービスとして私共の会社では、いろいろと生活になじんだ話をしていただく講師を、一年に一回ないし二回ぐらいお迎えするのです。聴衆のみなさんは、だいたい五百人から六百人ぐらいでございます。そのなかで一度、少年鑑別所の先生をお招きしたことがあります。
その先生は、出だしはボソボソと話をしておられたんですが、だんだんと話がのってきまして、人の心を打つ話になってきました。結論から言いますと、「今の子どもは」ということなんですが、その当時、今から三十年ぐらい前の話になりますかね、手をこうやって合わせて拝む(合掌)子どもというのは、決して犯罪を犯さない。そして犯罪に加担しない。「これは、私が長年やってきた中での経験で」ということを言われましたが、私は、"なるほどなあ"と、本当に深く感じたわけでございます。
そういうことから、廣圓寺様から、お盆になると家庭にお参りに来られるわけですけれど、その時に、私は、私や家内だけでなくて、家族みんなでお迎えして、一緒にお参りする。そういった習慣を身に付けさせていかなければと思っておりました。今では幸い、その事が我が家の習慣になってきました。
あるとき、孫から大学を卒業する間際に「おじいちゃん」と電話が来たわけです。何だろうと思ったら、「おじいちゃん、お墓の掃除に間に合うように帰るよ」と言ってくれました。私は、その言葉を聞いて、本当に嬉しく思いました。ああ、こういうことなんだな、感動というのは。あらためて、孫たちの成長を嬉しく思うと同時に、うちのばあちゃんと、孫を育てた両親に感謝をしたわけでございます。
それから次の点では、みなさまご承知の京都の上山研修です。私も門徒会員にさせていただきましたときに、門徒会員の規約をいただいたので読ませていただきました。その中の第6条に、「門徒会員のつとめとして、帰敬式を受けなければならない。」とございました。たまたま第十五組でそういう計画がございましたので、そのとき、私は喜んで参加させていただきました。
そして、その本山の研修日程の最後の当日、廊下の掃除などをしている時に、ふと伝道掲示板の中の「たとえ一本の草でも、生きねばならぬ使命がある」ということが書いてあるのを見ました。
私は、非常にその言葉に感動を覚えまして、今でもその光景をよく覚えております。そのときに何を考えたかといいますと、私どもが生きていくうえに、様々な動植物のいのちを食べ物としていただいているわけですね。ですから、生きているということは、無駄な生き方ができないのではないかなと思ったわけでございます。そして、世の中に感謝をしなければと、自然と思うようになりました。
私のところは、百世帯ぐらいの町内なんですが、その中に、この別院の講が昔からありました。その講もご多分に漏れず、歳をとったものばかりとか、死んでいく。そういうことで、やはりその講も今や風前の灯になっているわけです。これは、何とかしなければならないなと話し合って、いま建て直しをしているところです。この過程の源になっているのが、やはり伝道掲示板にあります。言葉とは、何かを、それぞれの生活に活かしていこうではないかということを中心にして話し合っております。
そして、私共の小さな活動の中で、それが今、新しい気持ちとなり、このごろでは何か楽しさというか、そういうものが加わってきたように思います。
それから、子どもの登下校の時間帯に私が用事で町内を歩いていますと、子どもに出会うことがございます。たとえば、朝、出会ったときは「おはよう」と私の方から声をかけます。そうすると、はじめ子どもは変な顔をしているのですけれども、だんだん慣れてきますと、子どもの方から「おはようございます」と、ニコニコしながら先に言葉をかけてくれるようになりました。私は、本当にこれはいいなと思っています。私はその時、自分の気持ちが洗われるような良い気持ちになります。
私が三条市の生涯学習を今まで関係していたこともありまして、これは社会のどこかに取り入れるべきだと思っております。これは仏様ばかりの世界ではなくて、一般社会としても、会話の重要性、或いは心のしつけとしても、私は大切なことだと思っております。その言葉が、縁を通じたかどうかわかりませんが、「おじいさん」「おじいさん」と、懐かしがる。私は、それを見て、ああ、よかったなと、本当に今は嬉しく思っております。
あれやこれやと申しあげましたが、時間がまいりましたので、これで終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。 |