
皆さん、こんにちは。ご紹介をいただきました三明でございます。
お話に先立ちまして、「三帰依文」を唱えさせていただきたいと思いますので、ごいっしょにお願いいたします。
(三帰依文唱和)
本日は、当三条教区の同朋大会に多数ご参集いただき、有難うございます。私は、このたびご縁をいただき、記念講演を仰せつかりました三明智彰と申します。
ただいまは、私の勤めております愛知新城大谷大学のことを詳しくご紹介いただきまして、有難うございました。仰せのとおり愛知新城大谷大学に勤めさせていただいておる者でございます。
このたび、同朋大会の記念講演をと仰せつかったわけでございますけれども、この三条教区は、昨年から、水害、地震、そしてまた大雪と、災害が続いたわけでございまして、教区の皆様方、大変ご苦労をなさっておられることと、お見舞いを申し上げさせていただきます。
この大会に、「共にといえる人生を生きよう」という大きなテーマが掲げられているわけでございます。まさしく、うち続く災害の中で、私ども一人では生きていけません。お互いに手を携えて、復興の歩みを進めていかれなければならないことであると深く思うわけでございます。しばらくの間、このテーマのもとにお話を申しあげさせていただきたいと思います。後で、質疑応答をするようにと仰せつかってもおりますので、ご感想やご質問がおありの向きは、どうぞご遠慮なくお出しいただきたいと思います。
今日は、十時からの開会式に「正信偈」をご一緒にお勤めいたしました。そして開会式後、四人の方の感話をいただいたわけでございます。私も、拝聴させていただきました。
まず、服部敏男さんからは、同朋会運動発足の時のことから、柏崎における第十組の皆さま方の歩みにつきまして、お話をいただいたわけでございます。
長年の、一九六二年以来の同朋会運動でございます。今年は二〇〇五年ですから、もう四十三年ということになるわけでございます。お集まりの人数の増減の問題や、あるいは十組において報恩講を営まれておられるということ、また点検すべきことがら、こういうことをお話しいただきました。大変よく組織化され、運動の筋道が立てられておられるなということを、私は思いました。組織は整えられたが、今度は、機能の方がどうなっているかと点検事項を仰せいただきまして、大変感銘いたしました。
次に、佐々木シズさんからは、今までの聞法の歩みを振り返ってお話をいただきました。楽しければいいじゃないかと思って日暮らしをしてきたけれども、娯楽はいろいろあるけれども、そればかりしている間に「これでいいのか」と、何かこう虚しさを感ずるようになられた。お手継ぎのご住職さまからのお誘いによって同朋会に参加されお同行の聞法のご縁ができ、帰敬式を受けられて仏弟子となられたということの喜びを率直におっしゃっていたと思います。
先ほど、ご一緒に「正信偈」をお勤めいたしました。感話の中で「正信偈」についてのご感想は、佐々木シズさんと藤岡正典さんのお二方からあったわけでございます。「正信偈」を読みますと涙が出てくる、と佐々木さんはおっしゃいました。これは、嬉しいとか悲しいとかいうような涙よりも、ちょっと違うようだ。ありのままの自分に立ち帰ることができた。あるいは、この「正信偈」を読ませていただく時に、ありのままの自分でいいんだと。ありのままの自分に落ち着きを得ることができると。そういうことについての涙なのではないかとおっしゃってくださったわけでございます。
さらに、布施益雄さんからは、お父さんを喪われ、単身赴任のご苦労の中で、お手継ぎのご住職さまが三つ折本尊をお持ちになって、これを拝むようにとおっしゃってくださったと。そこに、仏様と共にいるという心強さを感じるようになりましたと。そういう中から、聞法の歩みをしてこられたと承りまして、私も感動いたしました。
仏様にお参りをする。ご本尊に向かってお参りをする時に、仏様と共にいるんだという、心強さを感ずる。こういうことが、実は親鸞聖人が「摂取して捨てざれば、阿弥陀と名づけたてまつる」とおっしゃってくださった、その味わいではないのかなと感じたことでございます。
最後の、藤岡正典さんからのお話の中では特に、朝ご飯の時に、お碗とオタマをひっくり返して、その時とっさに、「誰がこんなところにこんな格好で置いたんだ」と、いかにも怒った声が出てしまったと。これはもう、まさしく、御自身がおっしゃるとおり、自我中心、俺さえよければという自力のはからいの心が、むき出しになったわけでございます。そういうことが本当に、私の現在の迷いの事実であるということを気付かされたと。本願の光に照らされることがなかったら、自分の過ちに気付かずに一生を終わったであろうと。貴重なお話でした。
この浄土真宗の親鸞聖人のみ教えに遇わしていただき、本願の光に照らされるということにおいて、自分の過ちに気付かせていただけるようになったということが、大変印象に残りました。
私どもは、本当に、小さな反省はいたしましても反省をするたびに、また反省できた自分はいいものだと、すぐにまた自分を握り返し、エゴ、我執を立てていくものでございます。み教えがなければ、誰でもそうだから、それがどうしたという具合に自己正当化し、ぶつかり合いながら暮らして、実は、一生を空しく過ぎて行くだけで終わるわけでございます。
それは、形は人間であると申しましても、やはり心は三悪道、地獄・餓鬼・畜生の心を持って生きているということに他ならないということだろうと思います。
現代文明は大きな進歩を遂げ、社会も、物がとても豊かになりました。現在の日本の暮らしは、肘や膝に継ぎが当たった服を着ている人は、殆どいないようでございます。穴の開いたズボンをはいている人が時にはいますが、それは、だいたい若者のファッションの一つとしてそのような服を着ている例が多いようです。
一般的には、物は大変豊かになったわけです。物があるのが幸せだと。その幸せを目指して今日まで猛烈に働いて歩んできたのでしょう。けれども、ここに、大きな問題は、本当の喜び、本当の幸福感というのがいただけない。いわゆる心の貧しさということが、まさしく現在の問題であるということがあらわになってきているわけでございます。
一旦、ことが起これば、私どもは、薄い被せ物の下に、実は、地獄・餓鬼・畜生の根性があると。こういうことが、すぐにむき出しになって出てくるようなことです。常に、私どもは、罪悪深重、煩悩熾盛の自分であるということをお教えいただくということが大事なことであると思います。
四人の方の感話をお聞きしながら、本日の同朋大会にお参りをさせていただいてよかったなと、私自身感じました。
私は、同朋大会についての間違った先入観を持っていたなということも思います。どういうことかと申しますと、どうしても、たくさんの人が集まって一つの行事として行なわれる。それはそれで、大変なことだけれども、ともすると、その行事を行なう、大会をもつということだけに流されしまってはいないかというようなことを、あちらこちらの同朋大会の様子を見て感じておったのでございます。
けれども、この三条の地における本日の同朋大会は、まさしく聞法のお集まり、聞法の会だなということを感じさせていただいたのでございます。
会場が、先人のご苦労によって建てられました別院の本堂であるということも、幸いしているのではないでしょうか。ともすると、たくさんの方が収容しきれませんから、市民会館とか大きな公会堂とか、そういう会館で同朋大会が行なわれています。しかし、聞法の場所としてふさわしいのは、何と言いましても、やはりお寺です。聞法の道場としてのお寺の施設が生かされ、活用されて同朋大会がもたれた。これは、場所を得て、また、時を得て、御参加の方々を得て、まことに素晴らしい聞法の会に出させていただいたと、有り難く感ずるわけでございます。
皆さまもお持ちであろうと思いますけれども、同朋大会のチラシを眺めながめ、私はこの日を迎えました。昨日の夕方、三条へ参り、別院の近くに宿をご用意いただきました。別院から宿に向かう道すがら、この同朋大会の大きなポスターが貼られているのを何枚も見ました。
「共にといえる人生を生きよう」。この大会の趣旨というか、呼びかけの文章の中に、次のようにあります。
この地球には、数えることのできないほど多くの命が生きている。人は、草・木・虫・鳥・けもの…あらゆる生物と共に、その命が躍動している地球に生きている。「普共諸衆生 往生安楽国」と呼びかけられる、宗祖親鸞聖人の教えに学ぶものとして、本当にそのような生き方になっていますか。「共に」という生き方になっていますか。この問いを真摯に受け止め、一人ひとりが真宗門徒としての生活の回復を目指し、御同朋御同行の精神に生きようではありませんか。
この文章を何度も拝見いたしまして、ああ、いい文章だなと。この文章に触れながら、お話をさせていただきたいなと思って、資料を作り、お配りいただいたのでございます。皆さまには、表裏に印刷されたA4サイズの紙がお渡しいただいていることと思います。これをご覧いただきながら、しばらくお付き合いをお願いしたいわけでございます。
呼びかけ文の冒頭に「普共諸衆生 往生安楽国」との言葉が、出されてあります。これは天親菩薩の『浄土論』「願生偈」の中のお言葉でございます。
『正信偈』に、「天親菩薩造論説、帰命無碍光如来」以下、天親菩薩の教えについて述べられているところがあります。天親菩薩が論をお造りになった、その論とは何ですかと申しますと、『浄土論』でございます。極楽浄土のこと、浄土往生の道を明らかにされた論で、『浄土論』と呼ばれるのでございますけれども、前半に「願生偈」という偈があります。「願生」というのは浄土往生を願う、願生。「偈」は、うた、讃歌でございます。
世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国
この「願生安楽国」というところから、「願生偈」と呼ばれるのであります。釈尊に向かいまして、「世尊よ、私は、世尊・お釈迦さまのみ教えに従いまして、一心に、尽十方無碍光如来に帰命し、安楽国に生まれよう、生まれたいと願います」という言葉から、「願生偈」は始まるわけでございます。
「尽十方無碍光如来に帰命し」という意味が、「帰命尽十方無碍光如来」です。これは、皆さまのお内仏の、ご本尊に向かって右側に掛けられているお宅も多いのではないかと思います。字数が十字で、南無阿弥陀仏のいわれをあらわされたものでございますので、「十字名号」と申しますが、これは、「願生偈」の最初の言葉にあるわけでございます。
「尽十方無碍光如来」とは、阿弥陀仏のことです。「十方を尽くして」という「十方」というのは、あらゆる方向、四方八方、上下に、あまねく、どこどこまでも十方を尽くして。「無碍光」は障碍なき光。「如来」とは、みほとけのこと、まことのおはたらきでございます。
天親菩薩は、この「願生偈」の一番終わりのところに、「我論を作り、偈を説きて、願わくは弥陀仏を見たてまつり、普くもろもろの衆生と共に、安楽国に往生せん」。このように結ばれました。私は、論をつくって、偈を説いて、阿弥陀仏にお遇いするということを願い、あまねく諸々の衆生と共に、安楽国、極楽浄土に往生することを願いますと。このような言葉で結ばれました。それが漢文で書きますと、「普共諸衆生、往生安楽国」と御言葉でございます。
この呼びかけは、天親菩薩の呼びかけにとどまらず、親鸞聖人が私どもにまた、呼びかけておられるお言葉であるということでございます。「普く、もろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん」、共にでございます。ひとりで、俺さえよければというのとは違います。手に手を取り合って、共同してでございます。
この「衆生」というのは何であるかということにつきまして、大体は諸々のいのちあるもの、「衆」ですね。「衆生」の「衆」は、もろもろの。「生」は、生きているもの。生きものでございまして、いのちあるものすべてのことを「衆生」というのでございます。私どもは普段、お経のお言葉に「衆生」ということがあれば、人間中心に考えがちでございますけれども、お経にある「十方衆生」という、その「衆生」の内容をもう少したずねてみてみますと、『大無量寿経』の異訳のお経で、『大阿弥陀経』というお経がございます。
『大無量寿経』というお経は、もと「スカーバティービューハ」というサンスクリット語のお経で、十二回漢文に翻訳されたという記録があるのでございます。最もよく読まれておりますのは『大無量寿経』でございますけれども、ほかにも別に訳がございます。その中の一文を見ると。
諸天・人民・?飛・蠕動の類、我が名字を聞きて、慈心せざるはなけん。(『大阿弥陀経』第四願)
と、こういうお言葉があります。これは、法蔵菩薩の願いとして、『大阿弥陀経』では四番目の願いとして出ているのですけれども。いま、このお言葉をあげましたのは、衆生に当たる言葉が、「諸天・人民」ばかりでなく、「?飛・蠕動」という言葉まで出されておりますということでございます。
「?飛」とは何ですかというと、羽がはえて飛ぶものでございます。ですから、蝶とか、蛾です。「蠕動」は何ですかと申しますと、ニョロニョロと動くものでございます。ですから、たとえば蛇ということになりましょうか。そういうものまで「衆生」の中に入っているのだと。まさしく、私ども人間だけではない、虫や鳥、獣、あらゆる生きもの、さらには、草や木や、そういうものまで、「衆生」という中に入るわけでございます。
その感覚が、むやみに生きものを殺してはいけないとか、「やれ打つな ハエが手をする 足をする」という句になったりしているのだろうと思います。
仏教のみ教えは、私ども人間だけが万物の霊長で素晴らしいものだと、そういうような説き方はいたしません。さまざまなものが皆平等にいのちを持って生きているのである。こういう衆生についての感覚が仏教の教えでございます。そういう感覚を、私どもは、真宗のみ教えから身に染みるようにして教えていただくという歴史があったのだと思います。
浄土真宗のみ教えに集うものを真宗門徒と申します。ふだん、当たり前に、門徒、門徒と言われている言葉でございますけれども、「真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩」と、親鸞聖人は『教行信証』後序におっしゃっておられます。
真宗を興隆された、あきらかに示し広められた法然上人のことを「源空法師」と言われます。「ならびに門徒数輩」と、この「門徒」というのには、親鸞聖人が入っておられるわけでございます。「門徒」の「門」とは、教えのことをあらわす言葉でございましょう。「徒」というのは、人ということでございます。生徒という言い方がございますね。学校の生徒。それで、門徒とは、教え子のことです。それがもともとの意味でございます。
親鸞聖人ご自身が、源空法師、法然上人の教え子のひとりとして、「源空法師ならびに門徒数輩」と言われて、御自身がそのひとりであるとお書きになっておられるわけでございます。
そこで、現在まさしく問題は、真宗門徒と名告りながら、私どもは、門徒たりえているか、教え子たりえているかという問題でございます。
これはすでに、同朋会運動発足の一九六二年、あるいはその前から提起されていた問題でございます。「真宗門徒一人もあらじ」という危機感から、同朋会運動は始まったと聞いております。形ばかりの真宗門徒ばかりで、真の真宗門徒はどこにいるかと。
教え子ということであれば、やはり教えを戴いて行く。教えを戴いて行くということは、聴くということがないといけない。そういうことが、きちんと骨身にしみるような聞法、聴聞がされているかということが、問われた。
この問題は、今日まで、ずっと継続しているわけでございます。たとえば、次のようなお言葉があります。
戦前まであった行事が、戦時中にひっぱくして中断になり、戦後になっても全然回復していないですね。私たちが子供の頃、おじいちゃんやおばあちゃんが「朝晩お内仏にお参りをしないとご飯を食べちゃいかんよ」とかね。いまそういう風習は少なくなってきましたですね。(『なむの大地』三十二頁)
と。これは『なむの大地』(新潟仏教文化研究会編、新潟市考古堂書店)という本からお出ししたものでございます。『なむの大地』の「なむ」は、南無阿弥陀仏の「南無」ですね。「南無」とは、すべてを捧げ、尊敬し、敬い、従いますという言葉でございますけれども。その『なむの大地』という題で、すでに昭和六十三年に初版が出版されたものでございます。越後と佐渡における浄土真宗の歴史というのが書かれてございまして、大変いい本だと思います。
その中に、「朝晩お内仏にお参りをしないとご飯を食べちゃいかんよ」と。こういう家庭における習慣が、少なくなってきたと書かれているわけでございます。
真宗門徒として、私どもは、自分の子どもに、朝晩お内仏にお参りをし、そしてご飯をいただくんだよ。また、ご飯をいただく時には、手を合わせて食前のあいさつをし、そして、食事が終わったら、また手を合わせて食後のお礼を述べるんだよと。そういうことを、家庭において躾けていかなければいけないだろうと思います。
いのちがみな賜ったものだということを、言葉で言うだけでは伝わりません。日常の生活において、手を合わせるということ。やはりお食事の前、後にちゃんと手を合わせて、合掌礼拝し、「いただきます」と。詳しくは、「み光のもと」、阿弥陀仏のみ光のもとですね。「われ今さいわいにこの浄き食をうく」と。こういうご挨拶をきちんとして、食事をいただくんだと。これを、子供の、若い柔らかい心のうちに、躾けをしていかなければいけないのではないかと思います。
特に朝は、「ああ、忙しい忙しい」と言って、ろくにお内仏にお参りもしないで家から飛び出すような忙しい世の中で、戦後もう六十年、走りまわってきたと言ってよろしいでしょう。そういうことが、今日の精神の荒廃につながっているということは確かなことだろうと思います。
この機会に、同朋大会からおうちへお帰りになったら、急にはその躾けができあがるとはならないでしょうけれども、やはりお互いに、家庭においてお内仏にお参りすることと、手を合わせて食事をいただくということ。そしてまた、『正信偈』のお勤めを、生活の場においてしていくようにならないといけないのではないかと思います。これは、皆さま、すでにお感じのことでございましょう。
このことは、今の公立の学校では行なわれていないわけです。家庭で、あるいはお寺できちんと、こういう習慣をもう一度復活させていくということが、まずは真宗門徒として基本中の基本ということになるのではないかと思います。手を合わせて合掌することとか、お念仏申すこととか、そういうことの意義や、詳しい内容については、後から分かって行けばよろしいこともあるのであって、最初から意義がわかってからお念仏しますとかということではなかったと思います。
私どもがお念仏申すようになったということは、やはり、親や、おじいさん、おばあさんや、お念仏を称えてくださった方々が、先輩におられたおかげで、私どももお念仏できるようになったわけです。
その時、「南無というは帰命、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏というは、すなわちこれその行なり」(善導六字釈)と、こういうような言葉を、頭から分って、それからお念仏したというわけではありません。
あるいは、お念仏申す親の姿、祖父・祖母の姿。そこに何とも言えない人間の輝き、落ち着き、そういうのが感じられまして、私どもはお念仏を申させていただくようになったのではなかったかと思います。
このお念仏を申す生活を立てていく。これが、今日、本当に重要なことだろうと思います。特に、この新潟県三条の方は、また大変お念仏の歴史・伝統と、人々の苦労というのが密接に関わっていた所ではなかったかなと思います。信濃川があります。曾我量深先生は、いま町村合併で新潟市になったとのことでございますけれども、もと味方村の円徳寺のご出身で、見附の浄恩寺に入られまして、曾我姓になられたわけでございますが、信濃川を、人々が治水工事をし、暮らせるように開拓して来たのだと。そういう歴史があるということを、大乗仏教の仏法の歴史というのに重ねてお話を下さっているところがございます。
いま、『なむの大地』から、廣澤憲隆という方のお言葉を、見たいと思います。
越後平野の下流の蒲の原に信州や北陸から移住してきた人達によって、村落ができ、耕地ができ、そこには雪と水との戦いの中で、もくもくと困苦に耐えて、荒野を開拓してきた。そういう越後の民衆を支えてきたものは何であったのか。それは、私一人への如来の本願の働きの広大さというものに感動してきた歴史が、越後の門徒の歩んできた歴史ではなかったかと思うんです。その如来の本願にうながされつつ門徒は、洪水で荒れ狂う沼地を黙々と耕し、風雪に耐えて美田を作り、耕地を拡げていく。そういうバックボーンになるような教えであったからこそ、かたくなにまでも困苦に耐える県民性と裏腹に、本願念仏の教えに聴聞をいそしむ宗教生活があったんでなかろうかなということを感ずるんですけれども。
それが今日、精神の働きが見えなくなって形式化してしまい、念仏がだんだん埋没してしまってきている。それを、もういっぺん現代という社会の中で、農村社会であったのが技術社会・情報化社会になっている現代に、南無阿弥陀仏がどう働くのか。それを生きる人間の方向に対して、真宗の教えがどう応えるのか、それを明らかにしていくのが、これが私たちの一番の課題だろうと思うんです。(『なむの大地』三十四頁)
と。この三条教区の大地に染みた、人々の汗と血と涙の歴史ということを、きちんと、これからの子どもたちに教えていかなければいけないのではないかと思います。まさしく郷土史と言いますか、この土地の歴史です。これは、検定済みの学校の教科書には載っておりませんが、私どもは次の世代の人に伝えていく役割があるのではないかと思います。 |