| 元久山 松韻寺 親鸞聖人袈裟掛の松 |
| 所在地 |
〒950-0203
新潟市江南区小杉1-9-20 025-385-2344 |
| 拝観日時 |
必ず事前に電話連絡をしてください |
| アクセス |
車:日本海東北自動車道新潟空港I.C.から県道16号新潟亀田内野線を亀田方面に走り、大渕の交差点を左折し、小杉上を左折。約6km、約5分
電車:信越本線 亀田駅よりタクシーで15分 |
| 駐車場 |
あり |
| 付近地図 |
松韻寺の対岸(阿賀野川)付近で現在の本山御影堂外陣正面の大虹梁に用いられた欅の大木が引き上げられた。水の公園福島潟や月岡温泉、新発田も比較的近い
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< 宝 物 >
親鸞聖人袈裟掛松(樹齢800年)
六字名号(蓮如上人直筆)
方便法身尊像(室町時代)
親鸞聖人越後御流罪之砌(みぎり)蓮葉笠尊像
涅槃図(佻殿司筆)
釈迦三尊画像 |

親鸞聖人袈裟掛松(樹齢800年 |

親鸞聖人越後御流罪之砌蓮葉笠尊像 |
<元久山 松韻寺 親鸞聖人袈裟掛の松>
【 由緒沿革 】
親鸞聖人が御流罪により越後におられたころ、阿賀野川は洪水を繰り返し、人々を悩ませていた。その下流域の小杉にある菩提山松韻寺は、元久元(1204)年、良誓法印によって真言宗として開かれたが、親鸞聖人が鳥屋野を中心にご布教されたおりに寺に立ち寄られ、良誓法印は聖人の教えに遇い、浄土真宗に帰依したといわれている。やがて小杉の寺は、山号を菩提山から草創の紀元によって元久山とし、聖人ゆかりの松の韻(ひびき)をたたえて松韻寺を寺号としたといわれている。
境内には、枝葉約10m四方、幹周り2.9m、樹齢800年余りといわれる赤松があり、「親鸞聖人袈裟掛の松」と呼ばれている。この松は、越後七不思議の逆さ竹(西方寺)、八ツ房の梅(梅護寺)とともに、松竹梅のご旧跡とも称されている。
近世になり、上杉は会津に転封され、越前にいた堀が越後を治めることになる。慶長5(1600)年に上杉と堀の争いがおこり、真宗門徒は主に堀側に、真言寺院は上杉側についた。この戦ののち、堀が支配力を強めると同時に、真宗の寺院も多くなる。そして、小杉地区のような自然堤防の上に築かれた村落を中心に新田開発がさかんに推し進められ、真宗を深く信仰した多くの人々が開発に携わった。ゆえに、この地域には真宗ゆかりの宝物や言い伝えが多く存在する。
松韻寺門徒の中川家の持仏堂には、親鸞聖人直筆と伝えられる「親鸞聖人禿(かむろ)の御影」と、「親鸞聖人禿御影縁起」がある。縁起によると、この御影は、七不思議のひとつ、田上の繋榧(つなぎがや)に登場する護摩堂城主が親鸞聖人に帰依し、常陸国に聖人が旅立たれるときに頂いた尊像で、上杉勢に攻められ落城するときに密かに家老に託され、その後代々中川家で大切に安置されてきた。禿(かむろ)とは、はげたということでなく、肩くらいまで髪があり、聖人のお姿の下には常随の弟子として蓮位と西仏が描かれている。以前は遠く北海道からも来られるほど、お参りが多かったそうである。
また、藤山地区には「祖師上人御旧蹟」と題した石碑と、親鸞聖人が浄土三部経を書かれた経文石3個が安置されているお宅がある。これは、聖人が栃木を布教されていたとき、嫉妬に狂った女房が池にすむ大蛇となって女を食うようになり、村人が困っていたところに聖人が来合わせ、経文を書いたこの3個の石を池に沈めて大蛇を済度させたといわれている石である。
ここ阿賀野川下流域には洪水によって川底に巨木が埋まっているという伝承があった。明治の本山両堂再建の折、大木を献納しようと新潟木揚場の坂井若利氏を中心に、小杉や近郷近在120ヶ村の門信徒1万人余が結集して1ヶ月余りの苦心の末、大木を引き上げたそうである。(詳細は木揚場教会を参照)大木は、様々な困難を乗り越えながら京都まで船で運搬され、現在御影堂の大虹梁として据えられている。
また、松韻寺には、代々ご住職が収集された資料が飾られており、そのなかに親鸞聖人650回忌御遠忌のものや、700回忌御遠忌ポスター(高光一也(1907~86年、石川県専称寺住職高光大船の長男)が原画を書かれている)なども展示されていて、当時の御遠忌の雰囲気が味わえる。
宗祖親鸞聖人が境内の松の枝に袈裟をお掛けになり法をお説きになられて以来、ずっと袈裟掛の松とともに御法義相続を守っておられる松韻寺を是非訪れてみてはいかがでしょうか。
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700回忌御遠忌ポスター |

御本堂(欄間には松の彫刻) |
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